二輪車愛好家の界隈では熱狂的なファンが多いことでも知られているスズキ。
国内4大メーカー(ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ)の中でも特に個性的なバイクがラインアップされていて、他のメーカーとは一味ちがう特長を持っています。
今回はそんなスズキの企業ミュージアム「スズキ歴史館」でその魅力に迫ってみたいと思います。
見学には予約が必要
まず注意しておきたい点として、見学は完全予約制になっています。訪れる前にかならずスズキ歴史館のホームページから予約を入れておきましょう。
予約は前日まで可能です。希望する日時、名前、メールアドレスなどを入力して申し込みます。あとは、送られてきたQRコードを当日受付で見せるだけ。
なお、見学時間の制限はありません。ガイドがいない自由見学なのでじっくり見て回ることができます。
アクセス
スズキ歴史館は静岡県浜松市にあります。浜松はスズキ、ホンダ、ヤマハの創業地で「バイクのふるさと」とも呼ばれている街です。
スズキは現在も浜松に本社を構えていて、スズキ歴史館は本社正門の通りをはさんだ向かい側に建っています。
敷地内に無料駐車場があり、もちろん駐輪スペースも用意されています。
受付&エントランスホール
建物の中に入ると新旧のカタナがお出迎え。まずはインフォメーションセンターで受付です。
事前予約のひと手間はかかりますが、受付に長時間並んだり、館内が混み合ったりすることがないのはいいですね。
このフロアではここではスズキの最新モデルや歴代のレースカーが展示されています。
スズキのものづくり
2階からがいよいよ本番。まずはクルマの開発と生産についての紹介ゾーンから始まります。
このフロアでは商品の企画から、デザイン、設計、試験を通じて、生産ラインに投入されていくまでの工程がていねいに説明されています。
開発ゾーンで最も目をひくのは原寸大クレイモデルの展示。近くで見ても実車そのもので、とても粘土でできた造形とは思えないほどの精密さです。
車両の一部を切り取って見えるようにしたカットモデルも面白いです。普段、何気なく動かしているクルマやバイクはたくさんの部品の集合体なんだな~と、今さらながら実感します。
生産ゾーンでは部品の加工と組み立て工程が紹介されています。
部品加工のコーナーは派手さはありませんが、内容はとても興味深いです。同じ部品でも作り方で強度、精度、コストなどが変わってきて、これに素材と加工性の相性なども関わってくるのでなかなか奥が深い分野です。
このゾーンのハイライトは実際の生産ラインを再現した展示。しかも、ボタンを押すと工程が流れていくギミック付きです。
たとえば、タイヤの取り付け工程ではタイヤがラインに供給されて車体にセットされるまでの一連の流れが実演されます。
スズキヒストリー
3階に上がると、趣が一変します。なんとも古風な構えをした入口は創業当初の店構えを再現。
このフロアでは創業から現在に至るまでのスズキの道のりを実物を見ながらたどっていきます。
自動織機メーカーとして創業
まずは創業者である鈴木道雄氏のあゆみから。
道雄氏は地元浜松の農家に生まれ、大工の修行のかたわら木製織機の作り方を習得。その後、織機製造の工場を立ち上げました。ちなみに1号機は母親に贈られたそうです。
やがて織機ビジネスは軌道に乗り、ここからさらに自動車の研究に乗り出します。しかし、試作車が完成したところで日本が太平洋戦争に突入。自動車の発売は戦後まで持ち越されました。
戦争では本社工場が壊滅的な被害を受けたもののなんとか再生。1954年には社名を「鈴木自動車工業株式会社」に改め、翌年には悲願の軽四輪車「スズライト」を発表しました。
二輪車開発のスタート
自転車に取り付ける補助エンジンキット「パワーフリー号」が発売されたのは1952年。発案は後に2代目社長になる鈴木俊三氏でした。
趣味の釣りに自転車で出かけたところ、あまりの向かい風に自転車が進まないため「エンジンを付けたら楽になるのでは」とひらめいたのが始まりだとか。
十分な性能と2段変速のギアが好評で、その後も排気量や出力を上げた補助エンジンキットを発売。高い性能で人気を博しました。
1954年には初の二輪完成車「コレダCO」を発売。ここから本格的にスズキのバイク開発が始まっていきます。
1960年代から70年代にかけては、2サイクルエンジンが中心で、当時は「2サイクルのスズキ」とも言われていたそうです。
二輪の名車たち
4サイクルエンジンへの本格参入は1976年発売のGS400から。国内では最後発の参入でした。
スズキは4サイクルでも存在感を増していきます。
特にGSXシリーズは後に不朽の名車とよばれるGSX1100S カタナや、現在も続くスーパースポーツGSX1300 ハヤブサなどは有名ですね。
四輪車でも快進撃
スズキ初の自動車スズライトは1954年発売の「SS」を皮切りに、ピックアップタイプの「SP」やバンタイプの「SD」などバリエーションを増やしていきました。
その中には「キャリイ」、「フロンテ」など、後にシリーズとして名を冠していく名前も付けられています。
キャリイは1961年の発売から現在まで続く商用車のシリーズ。
頑丈なフレームと広い荷台が特長で、特に第一次産業では重宝されたそうです。今でも山村を走っている軽トラは昔からキャリイだったんですね。
一方、フロンテはスズキにおける乗用車の血統です。
日本のモータリゼーションの拡大とともに、スポーツモデルやクーペなどのラインナップも加わり、28年間、7代にわたってモデルチェンジされました。
そして、フロンテの後を引き継いだのが現在も続いているアルトです。
1979年、47万円という当時でも驚きの低価格でデビュー。「アルト 47万円」というキャッチコピーが使われるほど衝撃的な値段でした。
女性をターゲットにした販売戦略が見事にはまり、生産が追いつかないほどのヒット商品となりました。
ちなみに、低価格の秘密は税制を逆手に取った戦略と徹底したコストダウンによるもの。
なお、このあたりの話をしだすと、ひと記事書けてしまうので割愛します。気になる方はスズキ歴史館で実車を見ながらどうぞ。
スズキには他にも一時代を築いたクルマたちがたくさんいます。
こうして見ていくと、スズキはこれまでになかった新しい切り口のクルマを世に送り出し、幾度もセンセーションを巻き起こしてきたことがわかります。
しかも、それをコストやスペースが制限される軽自動車で成し遂げているところに感服です。
チャレンジングな商品たち
二輪、四輪ともに輝かしい歴史を持つスズキですが、その中には果敢なチャレンジをした商品も見られます。
中でも印象的なのがSW-1というバイクです。一見、昭和のバイクかと思いますが、なんと平成生まれ。1991年(平成3年)の発売です。
当時、バイクのトレンドはレーサーレプリカやネイキッドが主流でした。そんな中、スズキは時代に逆行するようなクラシックな外観のバイクを発表して周囲を驚かせます。
しかし、SW-1は市場には受け入れられず短命に終わります。時が過ぎ、そのおしゃれな外観とよく考えられた機能性が再評価され、現在ではプレミアがつくほどの希少車になっています。
21世紀に入ってもスズキのチャレンジは続きます。
2003年には価格を限界まで抑えた原付「チョイノリ」を発売。
当時、10万円前後だった原付の新車価格を大幅に下回る59,800円で販売されました。
コンセプトはその名のとおり「ちょい乗り」。通勤通学用として近距離の移動だけをターゲットにしています。
スペックや装備も必要最低限の仕様で、出力はわずか2馬力。燃料計や警告灯なども省略されています。その名に反して、開発する側としては非常にストイックなバイクだったことでしょう。
チョイノリは市場のニーズをとらえ、4年間で約10万台が販売されました。
意外な商品もリリース
創業100年を超えるメーカーだけあって、歴史館ではスズキの意外な一面を見ることもできます。
個人的にもっとも意外だったのはスズキサイクル。1970年代にはスズキブランドの自転車が販売されていたことです。
しかも、当時流行した「フラッシャー自転車」がラインアップされているとは驚きです。
フラッシャー自転車とはダブルヘッドライトや大型テールランプなどの過剰な電飾を搭載したジュニアスポーツ車。当時の少年たちに一大ブームを巻き起こしました。
なお、フラッシャー自転車はオイルショックの影響で一時下火になるも、後にたくさんのギミックを搭載した「スーパーカー自転車」に発展していきました。
まとめ
国内4大バイクメーカーの中では最も個性的なスズキ。
その歴史をたどってみると、常にチャレンジし続けているからこそ強い個性が生まれるのだなと納得しました。
しかも、販売戦略が上手で、消費者の心をくすぐる「手ごろ感」も期待を裏切りません。
見学を終えるころにはちょっとスズキのファンになってしまいました。
スズキ歴史館はファンなら絶対おすすめのスポットですし、そうでなくても十分楽しめます。
建物自体はそれほど大きくないですが、とにかく展示数が多くて充実しています。好きな人なら3時間ぐらいは余裕で過ごせるでしょう。
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